2011-11-09(Wed)
2011年11月9日(水)
2011年11月6日(日)
熱帯医学会/国際保健学会にお邪魔。
そして、WHOで働いている方や、熱帯医学の研究科の方々と
夜まで飲んでおりました。
そのあと、メールする機会があって、
改めて、「自分が何をやりたいか」を見つめ直すことに。
しばしそんな、自己満足的な文章を書いてみます。
ずっと途上国で何かをしたいと考えていました。
国際公務員という職業に憧れをもっていたので、本当の実態について勉強できたのは
この上ないすばらしい機会でした。
国連職員、途上国支援は昔からの夢でした。
幼い頃から海外に漠然とした憧れがあり、小学校で英会話をはじめたのをきっかけに
自分の知らない世界があることについてわくわくしたのを覚えています。
小学校のときに国連大学を訪問する機会があり、そのとき、国籍を超えて
人々が一つの目標に向けて情熱的に頑張っている姿を観て、
それが今の私にも焼き付いています。
その後、高校の文理選択時には国際関係学を学ぶために文系を考えていましたが、
理系⇒文系の転部が可能ということを知り、敢えての挑戦心で
理系を選択しました。
そして研究という形で社会に貢献しようということを心から決めていました。
今の大学に関しまして。
研究では、環境問題に興味がありました。
ダイオキシンなどの環境ホルモンに興味があり、
その問題に取り組んでいる研究室がある大学を、(実際今はその研究室にいます。)
そして生命科学を学部として初めて設立した、歴史のある大学であることを
表面上の理由として、
最終的には学力的にここしか妥当なところがなかったので入学を決意しました。
大学入学後は、もちろん研究者になろうと考えていました。
しかし、理系の研究者は、研究そのものに楽しみを感じる、といいますか、
大学の教授と自分の将来のvisionを重ね合わせたときに、
何か違うのでは、というモヤモヤを感じてしまいました。
そしてそれは次に政治への関心をもたらしました。
というのも、いくらすぐれた研究成果があっても、国がしっかりとした
政策がなければ、それは取り入れられない、というところからです。
大学2年では早慶の人たちと学生団体でクラブイベントを企画したり、
大学3年では大学に週1回しか行かず、参議院議員の学生秘書をして、
(当時環境委員会に所属)、国の政策について学んだり、
国会議員になろうかと本気で考えたりしました。
しかしながら、国会議員と政策は別物である事を知り、
コンサルやシンクタンクの方面に就職することを希望していました。
大学3年のときにHIVの孤児院ボランティアをし、
それをきっかけにアジアアフリカを旅するようになり、
それから、自分のできること、やるべきこと、
そして世界が求めている事は何か、を真剣に考えるようになりました。
===生きたくても生きられない子たちがいる。===
そんな視点から、いつの間にか医療への興味が湧いてきました。
最初は環境問題に興味がありました。
大学3年の夏にネパールで3週間環境教育のボランティアをしましたが、
現地ではすでに環境教育が行なわれており、
首都カトマンズではオートバイによる大気汚染がある一方で、
そこから3時間の僻地では、まったく環境問題なんて関係ない。
そして、途上国の環境問題には、温暖化の排出取引の話でもないですが、
お金が大きく関わってくることを知りました。
個人の意識よりも、企業の行動の方が大きく求められるわけです。
いろんな活動をして、自分の適性について感じてきました。
私は、現地の人と、いろんな人をいっぺんに巻き込んで、
一人で何かするのが得意なのかもしれません。
そのような視点で、医療の分野で何かをしたい。
医療、または、教育の分野にて。
それは、未来ある子供に、笑顔と希望を与えられるから。
7~8月に一ヶ月半のアフリカから帰ってきたあとは、
真剣に医学部の学士編入試験に挑戦しました。
国立2校うけまして、両方一次試験で落ちてしまいました。
途上国援助を考えたときに、開発学がメジャーですが、
MPHも重要なキーワードだと言う事を知り、MPHの取得を考えていたところです。
来年3月大学を卒業します。
だからこそ、意味のあることを学びたいですし、
もしそのあと自分の適性にあってないとして、進むべき方向を変えたとしても、
どの分野にも、また途上国援助というゴールにむかって、
役立つものでありたいと考えているからです。
自分にしか、できないことをしたい、
ものすごく自我の強くわがままな視点ですが、
私の生命を、他人を通して、価値を再認識したいと考えています。
なぜ途上国か、というと、
私は途上国の子供たちに、生きる希望をもらったからです。
そして先進国の人間として、何か一つでも還元できる物があるのでは、
とも考えているからです。
2011年11月6日(日)
熱帯医学会/国際保健学会にお邪魔。
そして、WHOで働いている方や、熱帯医学の研究科の方々と
夜まで飲んでおりました。
そのあと、メールする機会があって、
改めて、「自分が何をやりたいか」を見つめ直すことに。
しばしそんな、自己満足的な文章を書いてみます。
ずっと途上国で何かをしたいと考えていました。
国際公務員という職業に憧れをもっていたので、本当の実態について勉強できたのは
この上ないすばらしい機会でした。
国連職員、途上国支援は昔からの夢でした。
幼い頃から海外に漠然とした憧れがあり、小学校で英会話をはじめたのをきっかけに
自分の知らない世界があることについてわくわくしたのを覚えています。
小学校のときに国連大学を訪問する機会があり、そのとき、国籍を超えて
人々が一つの目標に向けて情熱的に頑張っている姿を観て、
それが今の私にも焼き付いています。
その後、高校の文理選択時には国際関係学を学ぶために文系を考えていましたが、
理系⇒文系の転部が可能ということを知り、敢えての挑戦心で
理系を選択しました。
そして研究という形で社会に貢献しようということを心から決めていました。
今の大学に関しまして。
研究では、環境問題に興味がありました。
ダイオキシンなどの環境ホルモンに興味があり、
その問題に取り組んでいる研究室がある大学を、(実際今はその研究室にいます。)
そして生命科学を学部として初めて設立した、歴史のある大学であることを
表面上の理由として、
最終的には学力的にここしか妥当なところがなかったので入学を決意しました。
大学入学後は、もちろん研究者になろうと考えていました。
しかし、理系の研究者は、研究そのものに楽しみを感じる、といいますか、
大学の教授と自分の将来のvisionを重ね合わせたときに、
何か違うのでは、というモヤモヤを感じてしまいました。
そしてそれは次に政治への関心をもたらしました。
というのも、いくらすぐれた研究成果があっても、国がしっかりとした
政策がなければ、それは取り入れられない、というところからです。
大学2年では早慶の人たちと学生団体でクラブイベントを企画したり、
大学3年では大学に週1回しか行かず、参議院議員の学生秘書をして、
(当時環境委員会に所属)、国の政策について学んだり、
国会議員になろうかと本気で考えたりしました。
しかしながら、国会議員と政策は別物である事を知り、
コンサルやシンクタンクの方面に就職することを希望していました。
大学3年のときにHIVの孤児院ボランティアをし、
それをきっかけにアジアアフリカを旅するようになり、
それから、自分のできること、やるべきこと、
そして世界が求めている事は何か、を真剣に考えるようになりました。
===生きたくても生きられない子たちがいる。===
そんな視点から、いつの間にか医療への興味が湧いてきました。
最初は環境問題に興味がありました。
大学3年の夏にネパールで3週間環境教育のボランティアをしましたが、
現地ではすでに環境教育が行なわれており、
首都カトマンズではオートバイによる大気汚染がある一方で、
そこから3時間の僻地では、まったく環境問題なんて関係ない。
そして、途上国の環境問題には、温暖化の排出取引の話でもないですが、
お金が大きく関わってくることを知りました。
個人の意識よりも、企業の行動の方が大きく求められるわけです。
いろんな活動をして、自分の適性について感じてきました。
私は、現地の人と、いろんな人をいっぺんに巻き込んで、
一人で何かするのが得意なのかもしれません。
そのような視点で、医療の分野で何かをしたい。
医療、または、教育の分野にて。
それは、未来ある子供に、笑顔と希望を与えられるから。
7~8月に一ヶ月半のアフリカから帰ってきたあとは、
真剣に医学部の学士編入試験に挑戦しました。
国立2校うけまして、両方一次試験で落ちてしまいました。
途上国援助を考えたときに、開発学がメジャーですが、
MPHも重要なキーワードだと言う事を知り、MPHの取得を考えていたところです。
来年3月大学を卒業します。
だからこそ、意味のあることを学びたいですし、
もしそのあと自分の適性にあってないとして、進むべき方向を変えたとしても、
どの分野にも、また途上国援助というゴールにむかって、
役立つものでありたいと考えているからです。
自分にしか、できないことをしたい、
ものすごく自我の強くわがままな視点ですが、
私の生命を、他人を通して、価値を再認識したいと考えています。
なぜ途上国か、というと、
私は途上国の子供たちに、生きる希望をもらったからです。
そして先進国の人間として、何か一つでも還元できる物があるのでは、
とも考えているからです。