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2015/10
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10/27 今を、生きている、ということ。


10月27日(火)
みせす(=摂食障害ネーム、食育ボランティアネーム)
or
ころいど(変形性股関節症ネーム)
です。

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おばあちゃんちにて。もぎたての柿を、もぐもぐ。むちゃむしゃ。



前回更新してから1ヶ月後・・・
想いはいっぱいあったのですが、なかなか更新できずすいません。
でも、想いは
本当に膨らみ過ぎていて、
早く言語化したかったのに、My Mac(Book)に向き合うの怠っているという(苦笑)w
実際、いろいろと忙しかった←という言い訳。
言葉を換えれば、
心のうちの喜怒哀楽の感情から発する感動や衝動を
表現したいという欲求。

そう、私にとって、
書くことは、「癒し」、そのもの


*****************
■最近のみせす
*****************

*9/29(火)KKP打ち合わせ

*9/30(水)部署移動・歓迎会

*10/1(木)部署移動!!!

*10/3(土)高校の友達とパン作り♡

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かぼちゃパンつくちゃいました。
中はかぼちゃあん。めっちゃおいしい!


*10/4(日)食育つながりの大切な友達とお茶。

ひさびさに20km jogしたらそのあとシャワー浴びてまさかの初捻挫!!!
(26歳ではじめて捻挫しました)

追記1:漢方飲んだら3日で治ってしまった、という説(笑)

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追記2:精神科の主治医曰く、それは捻挫、じゃなくて、打撲じゃないか?説w


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*10/5(月)テレビNHK:クローズアップ現代「やせ」。ひさびさにテレビを見る。

*10/6(火)ひさびさに大学時代の人と、ごはん。
たまたま話しててPTSD復活(後述)


*10/7(水)大切な、大学時代に知り合った後輩の男の子とごはん 。

*10/10(土)
食育ボランティア「キッチンの科学プロジェクト(KKP)」(1)
新宿区事業のこどもクラブにて、
「お絵描きホットケーキ」

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ひさびさに、前にたって、
「みせす先生」になる、嬉しさ。

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こどもたちにかこまれて本当に、幸せ。


*10/11(日)
食育ボランティア「キッチンの科学プロジェクト(KKP)」(2)
LOFT 武蔵境店にて、「葉脈標本しおりづくり」


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*10/12(月)
食育ボランティア「キッチンの科学プロジェクト(KKP)」(3)
女子大学にて、90分の講義の特別講演!
 70名の生徒の前でお話させていただきました!
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*10/14(水)
食育ボランティアの相方(共同代表)との喧嘩をして
相当落ち込む。

*10/17(土)
大切な病気仲間の子とお茶。
そのあとごはん♡

*10/18(日)
食育ボランティア「キッチンの科学プロジェクト(KKP)
科学技術館にて打ち合わせ
↓全体会議。


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↓高校のときの同級生とお茶。


*10/19(月)
まさかの元彼が東京にやってきて、会社の前・家の前に。
警察の元へ。
↓友達の家に。そしたら話すぎて、
1時間くらいしかねれなかった(笑)


*10/23(金)
精神科定期診察。
↓そのあとおばあちゃんちへ。

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柿が鈴なり。
木からもがいて6個食べたらさすがにお腹が下痢でした(苦笑)
そのあと何を閃いたか、
椿の木の下に、落ちている椿の実を拾って
椿油とをつくっていまった(笑)(後述。)

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************************
■摂食障害の最近。
************************
<まだ病気に囚われてること>
*1日1食生活(夜に1日分たべる)
*朝走るのは最低週1~2回。(平日の朝起きられなくなった。)
*ちょっと不眠。寝れないけど、そこまで不眠じゃない?
*頑張りすぎて過緊張。ほっとしたあと過食。

<ちょっと回復したこと>
*会社に行く前の朝、吐き気が止まらなくて、
 心拍数あがってめちゃくちゃどきどきしてたのが、
 部署が変わったことで、会社にくるのが、ちょっと楽しみになった!
*過食エピソード(夜、外食した後は絶対的に家で食べなおしていたのに、
その回数が減ったりもしたかもしれない)
*バランスが、保てるようになった。


*「やりたい」or「やりたくない」が、わかるようになってきた。
 今までは、「やりたくないこと」も、”ほめられたくて”、
 自分の気持ちに、自分の心に聞く前に、ひたすらやっていた気がする。

 でも、
 今は、違う。

 (1)「やりたい」
 (2)「やりたくない」
  と、
 (3)「やる」
 (4)「やらない」

その4つの区別が、少しずつ分かる and 使いこなせるようになってきた(気がする)。
たとえば、
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
・仕事で朝早くおきなきゃいけない
・今日帰ってきて洗濯物しなきゃ!掃除しなきゃ!
・洗濯物をさっきして、まだ干してない。洗濯機の中になる。
・このままフローリングで寝たい・・・
△△△△△△△△△△△△△△△△△△
とかっていう想いがあったとして。

・仕事で朝早くおきなきゃいけない
→「やらなきゃいけないこと」

・今日帰ってきて洗濯物しなきゃ!掃除しなきゃ!
→「摂食障害患者(完璧主義)」としてはやらなきゃいけないこと。
→でも、やらなくてもいいこと。

・洗濯物をさっきして、まだ干してない。洗濯機の中になる。
→干すのは15分あれば、できる。ちょっとがんばれ、あたし。

・このままフローリングで寝たい・・・
→寝てもいい。寝ろ。(でも背中いたくなるから休日前だけな)



みたいな。
少しずつ、”自分を許していく。”
それは、すべてに”甘え”じゃなくて、
社会生活を送る以上、少しでも、少しでも。



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************************
■”異動”
************************
いろんな騒動がありまして。
10月から、異動になりました。
前の部署の在籍期間はたった一年間。
異動させられることなんて普通に考えてありえない。
(完全なる人間関係、
と言い切るのは間違っていると知っているけれど、
その要素は私にとって大きいものだったと思う。)

朝吐き気がして。
今考えてもひどい生活を送っていた。
寝れない。食べれない。
会社に行くだけでしんどい。
原因が5月のころの上長の命令で、
私の摂食障害、メンタルを考えてくれての「出張残業禁止」
だったらしいけど、(と、言葉通りを信じているけれど)
私がそれを聞いて最初に言ったように、
「そのような措置をすると、私は、メンタル崩しますよ」
という言葉通りになった。
8月に言われた内示。
本気で休職しようとしていた矢先だった。


いろんな想いが、ある。
一年前の配属の時。
あんなに希望に満ち溢れていた、一年前。
それが、あたし、今の会社で、何しているんだろう、と。

しんどくて、辛くて。
そして迎えた、10月1日。異動。
詳しいことは、書くと、
きっと会社の中で起こられるだろうので【情報漏洩的な意味でね】
詳しいことは書けないのだけれど。
営業部門→研究部門になったわけです。
主に副作用の発現頻度調査の解析とかそういうやつ。

○流し、的なね。


これに対し、精神科の主治医の一言。
主治医:「いやー、(みせすさん)。大学院といい、研究に引っ張られてるよねー(笑)」
みせす:「ちょっと!先生、それ嫌味?wなんか引き寄せられているってこと?」
主治医:「縁があるって、なんか、深い意味とかじゃなくて、めぐりあわせ、というか。」
(以下略w)

正直、営業部門(とはいえ、本社で内勤だったけどね)
のほうが、楽しかったのは事実。
(まだ異動して一か月しかたっていないから、楽しいも何もまだわからないけれど。)

でも、せっかくこうして異動した、今だからこそ。
学べることがある。(実際営業部門にいたときとは全然違うわけです。
法令順守かちっかちなわけで。ディオバン問題もあるしね。)

いつまで続くかは、わからないけれど。
だからこそ、少しでも、学んでいく姿勢は、いつも心の中においておきたい。







************************
【みせすの1人食育科学実験教室】
■椿油。
************************
椿油をつくっちゃいました(笑)

これが、椿の木

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まず、椿の実を拾う。


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木になって熟していたのをもぎ取る。
重さ約700g。


殻を割る。
くるみ割りの機械みたいなのをつかってひたすら割っていくこと
一人3時間経過(笑)・・・w
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半分の重さ、約300gの椿油がとれました!!

で。そのあと。
本当はすりこぎでやるらしいのですが・・
ぶれんだーましーん!!


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ブレンダーマシーン!
そう、私が駄々こねて買った、BROWNのブレンダ―!
(さすが刃物メーカー。強力すぎます。)
で、ひたすら、小さく、細かく・・・・!!
すりつぶすくらいにしたあと・・・

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ガーゼにつつみ
(※なかったのでふきんで代用)

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強火で蒸す!こと、10分!(今回は長めに15分。)

・・・・・・
!!!!!!

そして、これを絞れば・・・・!


でも、あ つ い!!!!

(だけどもうお風呂入る時間で、お風呂入った後に絞るのはいやだったので。
だって絞るの油だよ?手が油まみれだよ?)

と思いながら絞ること・・・

おおおおお!!

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オイルの完成!!

なんと、椿油のオイル、自分で絞れちゃいました(笑)
これに関しては、家族も、みんなも感動!!!!

自然の恵みって本当に豊か。
きれいだなぁ、と、うっとり。
油なんて、摂食障害の大敵のはずが、さ。











そして・・・
これにこりないのが、私、【みせす】です(笑)








************************
【みせすの1人食育科学実験教室】
■ピーナッツバターづくり。
************************

椿オイルをつくっていたときの、ふとした、母の一言。
母:『「ピーナッツバター」みたいに、すりつぶせば、油が出るんだよね。』

・・・・・・・・・!!!!!!
なんですと!!!!!!!

ということで、今度はまっとうなる食べれるものを。
自家製のピーナッツバターづくり。

らっかいせいの殻の剥いたものを購入。
みせすの大好きな、ブレンダ―ちゃんに投入!


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すること、
とにかくすりつぶす!!まぜる!!!


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最初はこまなくなってきて。

そのあと、
根気よく、モーター全開!

すると・・・

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おおおお!バターっぽい?

で。

おお!

バターだ!!



これに砂糖を投入し・・・


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でっきあがりー!

めちゃくちゃおいしい!!!!



実は、私、摂食障害のためか、体重増加にまだ恐怖があって(顔は丸いのだが)
油っていうものに、
すごい抵抗あるんですよ。

どれくらい抵抗あるかっていうと、


母親→朝お味噌汁つくる
→お味噌汁に油揚げがはいる
→油が表面に浮いている

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
食べられない(苦)

でも。こんな風に「見えない油」を見ることができて、
*種子に蓄えられている、「エネルギー貯蓄」としての【油】。

こんな風にみると、油に対する見方って、少しずつ、変わっていく気がする。

特に、
■手作りピーナッツバター
した功績は、私の中で(これ重要ね)とても大きなものだった。

高校生までの時。パンが大好きで、いつもマーガリンやピーナッツバターをぬって食べてた。
マーガリンにジャムなんかもちろんのこと。ピーナッツバターを、たっぷり。
・・・・・・
そしてぷくぷく太っていった(当たり前だろ)そんな高校時代。

今となっては。
ナッツは食べれるけれど、ピーナッツバターは食べれない。
そんな最近だった。

だから、ピーナッツバターを食べたのは、
かれこれ6年以上ぶりなんじゃないか。

でも。
今回作ってみて。
ピーナッツは食べれる
↑それに砂糖を足しただけ。

って思ったら、おいしく、少量を食べることができた。本当に幸せ。

手作りすることで、
マスコミの情報がいかに間違っているか、に気付けたりする。

摂食障害になって、治療過程に始めた、食育ボランティア団体。
――キッチンの科学プロジェクト(KKP)。

スクリーンショット 2015

―――子供たちを主な対象とした、食育をテーマにした、科学実験ワークショップ。
私がここまで続けてきた理由は、そこにある。

頭で考えてきたことも、
頭でっかちに考えすぎて悩んでしまうことも。

科学が。
自然が。
私たちに教えてくれる。
語りかけてくれる。
自然の恵みの豊かさを。
私は、このままで、いいんだ、ってことを。

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おばあちゃんちで食べた、サツマイモの蒸したやつ。
自然の甘さが、本当に、おいしい。
気持ちいい。

食欲に素直に従う。
食べたい時に食べる。食べたかったらたくさん食べる。
そしてそのうち、自然な体重に落ちてくる。


あんなに「痩せたい」っていう感情であふれていたのに、
今は、少しずつ、「やせ願望」っていうのかな、
そういうのが、減ってきているような、気がする。
あ、でも。もちろん今でも、すぐ太ると、ぽっちゃり顔に出るしね。
そんな瞬間は嫌だけれど、
体重にこだわるっていうよりも、似合う服を探したり、
丸顔を生かせる髪型なり、メイクをしたいな、って思ったり。
そんなことをいろいろと思う。


だいぶ逸れてしまったけれど。

「手作り」
「自分でやってみる」
ということ。
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手間を惜しまない。
「手作り」の楽しさ、って、
いうのは、私に教えてくれるのだ。

1からつくる喜び。
そして、
今の大変や、苦労は、決して無駄には、ならないってことを。

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************************
■「摂食障害」という贈り物
************************
大学院2年から始めた、
食育ボランティア「キッチンの科学プロジェクト(KKP)」
いつの間にか、社会人2年目になる今も、やっている。

ということは、わたしは3年目を迎えたっていうこと。

・・・
ということに、気がついたのは、
先日行われた、女子大で、大学1年生の教養科目「食の科学」の授業で、
特別講演(90分)を依頼され(今回2回目。)

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そこで、「食育やっている方々」として紹介されたこと。

平日は仕事だから、
土日にポツリポツリと、という感じだけど、
それでも、仕事おわって家でパソコンかちゃかちゃやったり、
過食しながらパワポつくったり、とか、
相当自分と戦いながらやってきたんだなぁ、と、
感慨深く振り返っていた。

::::::::::::::::::::::::::::
ということで。
私と、もう一人の共同代表、自分たち二人で、
ワークショップしながら
「なぜ食と科学か」
「ワークショップ2つ」
「食育とは何か?」
「食育とは誰のもの?」
「誰のための食育?」
という内容で、90分めいいっぱい講演をしてきました。

アンケートを書いてくれた、学生からの意見が嬉しかったので、
一部抜粋させていただきます。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓以下引用↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

・みせすさんがすごい楽しそうで、私たちも楽しかったです
・みせす先生たちの説明がすごいわかりやすくて面白かったです。
・お二人ともかわいくてまた講義を聞いてみたいです。
・もっと話を聞きたかったです。先生と話したいです。
・食と環境、食といのちを改めて考えさせられ、食の大切さを学びました。
・この講義を聞けて良かったなぁと感じました。
・すごく充実したし感動しました。私も参加してみたいです。
・今日の講義で改めて食の大切さがわかりました。
・みせすさんの体重増減の繰り返しから、食の大切さを知り、KKPの活動を始めたと聞き、
 行動を起こすことって重要なことだと思いました。
 食の大切さをよく噛みしめて、これからの自分に生かしたいと思います。

・ 食べることは生きていくことで、とても大切なことだと改めて感じました。
 また、みせす先生の体験談を聞き、説得力が増した。普段の食生活から見直していきたいと思う。

・ 最後のみせす先生の話に感動して心を動かされました。
 本当にこの授業を受けていてよかったと思います。本当に心の満たされた時間となりました。
 うまくは言えないけれど、KKPの活動は素晴らしいと思いました。

・とても感動しました。私は食についての興味がまるでないのであまり気乗りしなかったのですが、
 本日聞けて良かったです。ありがとうございました。
・最後のパワーポイントを見て、食事を考えることの大切さを改めて感じました。
・“食を大切にすること”を改めて痛感させられたので
 今の自分の食生活を見つめなおす良いキッカケになりました。
 食を通して笑顔にできるのがいいと思いました。

↑↑↑↑↑↑↑↑引用ここまで↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑



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そう。
もう日本語下手だから、うまく表現できないけれど。
すごく、すごく、嬉しかった。


/////食べることは生きていくことで、とても大切なことだと改めて感じました。
////みせす先生の体験談を聞き、説得力が増した。普段の食生活から見直していきたいと思いました。

/////・みせす先生のプレゼンに感動しました。
/////・食の大切さが、わかりました。
という声が、本当にうれしかった。

「ああ、私、いつの間にか食育を3年も、やってきたんだな」
っていう想い。
ずぶの素人の私が、食育に携わり、今は「食育基本法」含め、
食育のこともわかるようになってきた。「食」と「科学」の結びつきも。
そして、私も。
////摂食障害の経験から団体を立ち上げるまで、という話はすごい説得力がありました。


・・・・・

中には、摂食障害で苦しんでいる子もいた。


摂食障害の患者たちは、いつも、闘っている。
ただでさえ、家にいて、過食して、吐いたり、絶食で拒食したり。
[家にいれれば休める]っていうものでもない。
実家にいることがストレスなこともある。一人暮らしで誰にも止められずに過食嘔吐してしまうこともある。
その人によって、“心地よい空間・環境”って違う。
医薬品の保健収載で、「摂食障害」っていう病名適応がある薬は、今だ存在しない。
過食や拒食に併発する、抑うつ、焦燥感、不安感などに対して、
抗うつ薬や抗不安薬、安定剤、睡眠薬などを処方する。

だから、万人に向けた、EBM(Evidenced Based Medicine)根拠に基づいた医療)は、なかなか難しい。
摂食障害の治療は未だ確立した、と言えるのだろうか。


「摂食障害は甘えだ。」
「悲劇のヒロインぶっている。」

そう、とことん言われる。
奈落の底に、突き落とされる。

一番つらいのは、患者自身のあなた、だってこと。
//////毎日が日曜日なのに、家でごろごろしてて、何もできていない。
/////「しんどい、辛い。」
/////先の見えない、不安。

摂食障害の辛さは、摂食障害の患者が、一番よく知っている。
悲劇のヒロインなのかもしれない。

でも、そういう思考に支配される“病気”なのだ。


なるべくしてなったわけじゃない。
がんになったら、がんになった人が悪いのですか?
摂食障害になったら、なった私が悪いのですか?

私は、
「摂食障害の自助グループ?」なのか、
「予防啓発」に取り組んでいる、一人。
私は、摂食障害から、「食育」をやっている、一人。

摂食障害同士で話をすることが、
“傷のなめあい“なのかもしれない。

それでも、「生きる」には、過去に患った傷を、癒さなければいけない。
傷口と同じで、乾燥したままだと、痛い。
外の荒波や、無機質な風にさらされて、むき出しのままだと、痛い。
私は製薬会社にはいるけれど、摂食障害の専門家ではない。

いろんな講演会にいったり、
自助グループとして何かを極めることも、なんか、うまくできない。
なぜなら、私がまだ傷を持っているから。まだ、回復していないから。
でも、
今の「摂食障害なう」な私にできることがあるかもしれない。
そう思って、少しだけ、生きてみる。

・・・・そう、少しずつ、自分のやりたいことが、わかるようになってきた。

ただ空を見ながら、考える。
ゆっくり、自分の感覚に、心を研ぎ澄ます。

そして、深呼吸してみる。

私は、私だ、と。

私は、今、生きている。
不安定な気分、不機嫌さ、気分の波。
それでも、こうして、生きていることは、確かなこと。


他人にとって仕事のように思えて、自分にはそう思えないものがあるならば、
それが私の適した仕事なんです。

それは、息を吸って吐くように。

「他人にとっては仕事のように思えて、自分にはそう思えないもの」
それが、どうやら、「天職」というらしい。

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やっぱり、プレゼンしている時間。
本当に、楽しい。

まだまだ、この「食育」はボランティアであり、
とてもまだみらいのことは考えられないけれど、
少なくとも、

「自分の適性」について
理解を深めてくれる、
素晴らしい機会を与えてくれている。

精一杯、やってみたい。
子供達の笑顔に、応えたい。

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************************
■精神科の診察でのこと。
************************
10月23日(金)。
一ヶ月ぶりの診察@群馬でした。
(今でも月一で通っている精神科。そろそろ通院歴が4年になる。)

予約をもっと先延ばしにすることもできたんだろうけど、
(なかなか部署が変わると、有休とりづらいことも事実だったりする(’ ・_・`)
でもまぁ異動して一ヶ月たたずにとりましたよん。

身体と心が求めていたから、
病院に行けてよかったと思ってる。

いっぱいいっぱい話すこと(エピソード的なもの)があって
先生は一つ一つ、耳を傾けてくれる。

コピー用紙の裏に書き殴りした文字を、
一つ一つ、うなづきながら、汲み取ってくれる。
・・・私に気持ちを、受け止めてくれる人が、いる。・・・・
深い話がなかなかできなったような気がしなくもないけれど、
それでも、
私にとっては、”求めている”、時間。
⚫︎“治療”なのか、
⚫︎“愚痴を吐く時間”(←母親曰く。そう思っているらしい。)
その違いも、その区別も
私にとってはどうでもいいくらい、
本能的に、私の心が、必要としている。

もう、信じることが、疲れてくる。
泣きたくなる。
こんなんで、いいのかと、不安になる。
そんなといが多い、
不安定な私に対して。

私の気持ちを、受け止めてくれる人がいる。
信じられる、
こころの底から、信じられる、医師に、医療に。
巡り会える、喜び。

診察室ーーそこは、

“信じたい”
”もう一度、生きてみたい”

と、感じられる、空間が、私には、ある。



先生は優しすぎるくらい、優しい。
(ときどきえぐられることもあるけど:※後述)

そんなときの、ギャップ。
仕事に対して文句ばかりいっている、情けない私。

「給料をもらっている以上は、しっかりと仕事しなさい。」
という、主治医の言葉に、
思わず背筋を伸ばして
「はい」と、応えた。

厳しい言葉(社会から見たら全然甘いだろうけど)で、
しっかりと言ってくれる。
叱ってくれる。
想ってくれて、優しい言葉をかけるだけじゃない。

診察室で駄々こねる私に対して。
「ちゃんと、椅子に座りなさい」
なんども、なんども、言われた、このセリフ。

優しい反面のそのギャップに、ときどき、びくっとするけれど
私には、すごく、嬉しい。



正直、頼りたい。

でも、
でも。

「強くなれ、私。」
と、心のなかで言い聞かせる。


今は、頼っているけれど。
私自身が、前に、何か向かおうとしている、今。
「医療」という存在は、大きな武器になっている。



************************
■ ADHDのこと
***********************
ちなみに、前回のブログでおさわがせした、
ADHD病名騒動ですが、
母親も診察につれてきて、
一緒に一緒に話しました。

で、診断なのですが、
“落ち着きのない子”で、なんとか、幕を閉じそうです(苦笑)
(←人騒がせなやつ)

【×】「 ADHD」
【◯】「タイプADHD」

なんだそれ、とか、つっこむのは無しにしてくださいね(笑)

みせす=おてんば娘。ということみたいですね(笑

いつの間にかこどもたちと一緒に
実験をしてしまう、みせす。
こどもごころが、いっぱいです。
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************************
■「生きていていいんですか?」
************************

(前回の診察の回想。)
>>みせす「先生、あたし、生きていて、いいの?」
>>主治医(優しくうなづきながら)
     「いいんですよ。生きていて。」

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
どうも、納得がいかなくて、聞いてみた。
(めんどい患者だな、自分でも思うんだが。)

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

*秋空が晴れ渡っていて、気持ちいい。
*食べ物が、美味しい。
*夜お風呂に入って、あったかくて、ほっとする。


理由がない。
難癖つければ反論できるかもしれないけれど、
当たり前すぎて、説明つかないこと
ーーーーそれって世の中にいっぱいある。

そのくらい。
それと同じくらい。

 “生きていること” というのは、 疑う余地のないくらい、”当たり前”なこと。


私の好きな歌がある。
台湾のHIV孤児院のボランティアをしたときに出会った、大好きなShirly
クリスチャンの彼女が教えてくれた、この、素敵な、歌。
海外の牧師さんが作曲した曲で。全世界でカバーされている。
(だからといって、別に宗教を肯定も否定もしないと勝手に思っている)

you were born to be loved. and
you are receving that love through your life.

(君は愛されるために、生まれた。
 君の生涯は、愛で満ちている。)

いつも、
悔しいとき。
泣きたいとき。
一人、苦しいとき。

私は、この曲を、iphoneをベッドの上に投げ捨て、
スピーカーをonにして、
一人、聴きながら、泣いていた。

辛いときは、
歌詞なしのメロディーだけ。

ちょっと、前を向かなきゃいけないときは、
日本語に翻訳してある歌詞の曲を。



ちょうど土曜日にT Vをみていて、
「世界のこんなところに日本人」 的なタイトルで、
青年海外協力隊でアフリカに赴任した、幼児教育の仕事をしている
女性が取材されているところをみて。

「何もできなくても、今、自分にできることがある」
「今、自分にできることを、与えれば、きっと、喜んでくれる」

という彼女の言葉が、
私の中にあった、心のガラスを、”ガシャッ”と、割った。
“パリン”と、二つに割れたわけじゃない。
“ガシャッ”と、粉々に砕け散ったイメージ。

・・・・・・・・・・・・




先生。

お母さん、お父さん。

・・・・・・・
私は、

「生きたい」のだ。

・・・・

でも、「生きている」からには、
「こうしなきゃならない」というのが、強い。

何より、一番思うことは、

傷つけられたトラウマが大きくて
^^^^^^^^^^^^^

それは、それは、
あまりにも、大きすぎて。


誰かを、傷つけるのが、怖い。



私は、今、生きている。

・・・・

そうか。

「生きる」言葉に対する、主語。

「生かされている」と「生きている」が、私にとっては、大きな違い、というように。



私は、今を、生きている。

なんていえばいいか、もうわからなくて、
喉元まで気持ちはでてきているのに、
うまくPCを前に、言語化できなくて、
(今東京へ戻る途中の電車の中。高崎線の尾久なう。っていうことはどうでもいい)

なんていうか。


「生きていること。」に、
疑う余地も、何も、ない。


生きているだけで、
誰かの役に、立てるかもしれない。

「生きている」ということは、
自分の意思をとっくの向こうに超えた世界で。

つまりなんていうか、
私の意思で決める問題ではないのかもしれない。


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ずっと、
「消えちゃいたい」
「死にたい」

つまりそれは、

「生きるのが、嫌」

と、否定してきた。

・・・・・・・・・・・・・・

それは、特に、

この病気になってから。

・・・・・・・
太る。
痩せる。

考えられないくらいの、食事の好みの変化。
わがままに、思われる。

この病気と向き合うのが嫌だ。
怖い。
治りたくない。

治りたいけど、太りたくはない。

「太るなら、死にたい。死んじゃいたい。」

何度も、何度も、
自分を見失った。
自分を、信じられなくなった。


・・・・・・

でも、

「生きたくない」

というのは、私のエゴであるのかもしれない。


「生きる」
ことに対して、

「生きたい」
「生きたくない」

みたいな”want(要望:〜したい)”的な意思は、

選べる選択肢は。

そもそも、ないのかもしれない。


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生きているだけで、

それは、尊いこと。


赤ちゃんが、いくら、お母さんに夜泣きして迷惑をかけていても。
その笑顔で、周りを、元気にさせてくれる。
お母さんとお父さんに、存在価値を見出してくれる。


今は、手のかかる
社会に対して、
迷惑や負担をかけている私だけれど。


私には、
「生きている価値がある」



と、


信じてみたい。


  ・
 ・
 ・
 ・
 ・



いや、

怖い。

怖い。
やっぱり、まだ自分には、難しい。


・・・・・・

一人自問自答して、電車の中で、PCに向かいながら書く、今。
それだけで、心拍数があがって、泣きそうになった。

深呼吸。

・・・・
話はそれるけど。
どうしても、精神科の受診のあと、
私の ”心” は、ぐらつく。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ゆらゆら、揺れる。
というよりも、
足元が、地震で、
地層からぐらぐらと、揺れ動く感覚。

なんていうか、
悪く言えば、
「心をえぐられる」。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^

でも、えぐられたあと、
私の中で
噛み砕いた想いは、
そして、
噛み砕いている、今、この瞬間は、
まさに、自分自身と対峙している時間であり、
私にとって、かけがえのない、何かの時間だと感じている。

そう、
【×】思っている
【×】 信じている
ではなくて、
【◯】感じている

感じている、のだ。

直感として。今の第六感として。

そして、
えぐられたあとの想いは、
私の心の中で、「咀嚼」され
(悪く言えば、単に、自己解釈、ということばにすぎないのだが)
確実に、
確固とした私の「想い」となり、「信念」になっている気がする。

・・・
現在、10/25(日)22:11。
ちょうど今、東京の部屋の、ベッドの上。
木枯らしの寂しい冬のおとづれを告げる、風が、
窓から私の前髪をそっと揺らす。

そして、私は。
私は・・・
・・・じゃなかった。書こうとしていたこと。
その風が、入ってくるときに、
窓際に置いてある、ベッドの隅の、
食べのこしというか、過食したあとの残骸というか。
コップにへばりついた、はちみと、きなこの匂いも
一緒に、風は、連れてくる。

その匂いに触れると、
過食した衝動を思い出す。

「ああ、そうか、過食したんだっけ。」
そして、なんとも言えない絶望感、だけでなくなぜか
哀愁感漂うノスタルジーな気持ちに襲われる。

・・・・・・・
**

話が、だいぶそれてしまった。

そう。

▽▽▽▽▽▽▽▽
「生きている」
△△△△△△△△

ということ。
その理由は、
まだ、見つからなくてもいい。
無理に、自分に納得させようとしなくてもいい。

でも。

わかったことがある。

▽▽▽▽▽▽▽▽
「生きている」
△△△△△△△△

それは、
私の意思、どうこうじゃないのだ。

つまり、
「存在」を疑わなくていいのだ。

そう、強く、信じたい。

(うん。この場合の日本語は、
【×】感じた
【◯】信じたい  だと思う)

*******************
私には、【PTSD】がある。
このブログにも、時々出てきているのだが。


過食症の時、大学4年の時。
アフリカに行って、
いろんなものを食べ散らかした。

「お前なんて死んだほうがましだ。」

それを言われた人と、アフリカに行く前に行ったのが、
マレーシア。
きれいな夕日に感動した、
3月11日。震災の日。

だから。3.11の話がたまにできるとき。
この前、一緒にご飯を食べていた時に、
いきなり、その話が出て、
一気にPTSDがフラッシュバックした。

「なんで私は3.11に死ななかったのだろう」
本当に被災者の方に見られたら、失礼極まりないことはわかっている。
でも、
私は、そのときに、東北にいれば、
命を失うことができたはずだ。
――――私は、なぜ、生きているの?
――――私は、なぜ、死ななかったの?
そんな、久々にPTSDが起こって思って、正直、辛かった。

・・・・・
でも、
「生きている」。
それは、何かしら、私にできることがある、と、【信じる】ことだと
思っていいのだろうか。

痛みというのは、
忘れないように、あるのだろう。
だから、きっと、大丈夫。


********************
今の自分を、まずは抱きしめてあげたい。
他人から見たら、こんなの、
子供騙しな甘えな考え方かもしれないけれど。
「よくがんばっているね。」と。

今の自分に胸を張って生きていこうと。

強く、強く、願いたい。


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************************
■ブログを書いてきて。
〜「死にたい」あなたと、私へ。〜

************************
久々にアクセスログをみた。の話。
【1】会社の人からのアクセスログがあって、人を信じるのが、怖くなった。
【2】主治医にブログを書いていることが知られた
   (ブログを見られているわけではないと思われる)
【3】検索キーワードで「死にたい」「過食嘔吐」と検索されていた。
**************
そう。
最近あまり見ていなかったんだけれど(アクセス解析)。
久々に見た。
そこまで私はアクセス解析にこだわったりしないのですが、
●いつ、どこにいる人が、
●どんな検索キーワードで、
●Googleかyahoo!と使って、いつみたか、
●どこのリンクから飛んできたか
とか、そういうことがいろいろわかるんですよ。実は。

たとえば、の話。
うちの会社の人の、「ホスト」(インターネット上のIPアドレス)があって、

“「◯◯◯◯(みせすの本名)」 (スペース) 「ブログ」”
で、
16:00過ぎに、うちの会社のパソコンから検索している人がいて。

しかも、そう。定時の業務の時間。

別にその人が有休で、
会社のパソコンからたまたま検索したのかもしれないけれど、
正直、怖くなってしまったのね。。


今の自分は、
誰も信じるのが怖い。

信じれば信じるほど、裏切られたりもする。
自分も信じるのが、怖い。
誰かを信じて裏切られるのが、怖い。
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と、話はそれてしまったけれど。

**************************
■【2】主治医にブログを書いていることが知られたこと。
**************************


みせす:「最近、摂食障害の仲間と出会う機会が多くて・・・・」
みせす:「どうしても、人と比べたり、自分の事でいっぱいいっぱいというか・・」

主治医:「そうだよね・・・ピアサポートとかが持つ力は果てしないけれど、
     そういうことは自分の余力があって、はじめてできること、だしね」

みせす:「うん・・・・分かってる・・・でも、頼られているのは、嬉しくて。」

主治医:「っていうか、どうやって、出会うの?そういう人と。前なんかイベントやっただけじゃなくて?」

みせす:「記事書いているし、ブログも書いてるし・・・」

主治医:「ブログって、普通に誰でも観れるやつ?」

みせす:「うん。」

主治医:「え!それ教えてよ!!」

みせす:「え!?先生みたことないの?」

主治医:「えー、ないよ、教えてよー」

みせす:「てっきりもうブログ見ているか、または担当患者のそういうのに見ない、とかそういうスタンスかと思ってた!」

主治医:「いやいやいや、そんなことはない。え、で、なんのブログなの?摂食障害ででてくる?」

みせす:「・・・摂食障害と、変形性股関節症のブログ。」

主治医:「そうか、それで一つ一つ見ていけばいいんだな」

みせす:「ってかgoogleで摂食障害ってひけば、トップ10のうちにでてくるよ。記事は35万PVだし」

主治医:「ええええ!それってすごいじゃん。あとでみよ。教えてよ」

みせす:「えーやだ、だって恥ずかしいじゃん。それに先生の悪口書いているかもしれないよ?」

主治医:「まじかー!(苦笑)」

みせす:「いやいや、それはないから(笑)」


悪口は全く書いていないけど、
診察のこととか誇張したり自己解釈で書いたりしているから、
先生ごめんね(笑)

でも、そんな先生とのやりとりが、ほんとに、面白かった。
一人うけすぎました。
見てくれているかはわからないし、見ていることを期待していないし、
見ているからっていって、
別に私はこのブログを書くことに対しての
信念も口調も変えるつもりはない。

ただただ、自分の想いを連ねていくだけ。


**************
そして。

他の人の検索を見たら、

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
■検索ワード:「死にたい」「過食嘔吐」
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

というワードがあった。

「死にたい」「過食嘔吐」で検索しているキーワードが
何回も、いろんな日にあって。
すごく、重いものを、感じた。

というのも、
私が、そうだったから。



▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
■検索ワード:「死にたい」「過食嘔吐」

と検索した、あなたへ。
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

ここまで、読んでくれたかどうかは、わからないけれど。
たどり着いてくれて、ありがとう。

死にたいよね。
辛いよね。
私も、今でも、過食嘔吐したあとに。
たまに、検索してしまう。


でもね、
「あなたは、一人じゃない。」
私は、声を大にして、あなたに伝える。
それは、
「あなただけが、辛いんだから頑張れ」
っていう意味とは、全然違う。

**************

「あなたは、一人で、死にたい想いを、抱え込む必要は、ないんだよ」

っていうこと。



あなたを助けることができる人は、
きっと、いっぱい、いる。
あなたが、一人辛く我慢する必要はない。
辛い、って叫んでほしい。
そしたら、手を、差し伸べられる。

▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
■検索ワード:「死にたい」「過食嘔吐」
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

もしかしたら、これは、
大きなテーマなのかもしれない。

それは、【SOS】の表し方、なのかもしれない。

ふと、そう思った。

(これは私の想像にすぎないのだけれど)
【×】「死にたい」ということを、私に、だれかに伝えたい
【○】「死にたいくらいつらい」という気持ちを伝えたい。
のだと、思っている。
だって、死にたいのなら、とっくに死んでるから。
何より、
私が、実際、そうだったから。

・・・
散らかった部屋。
食べ散らかしたそのままの、フライパン。
何もする気になれない。
自分の行動に困惑し、違和感を持っている。

***************

先生。
なんであたしが、こんなに苦しまなきゃいけないの?
分かっていると思うけれど、言いたい。
『助けて』と。

▽▽▽▽▽▽▽
△摂食障害。
△△△△△△△△
見えない壁。
会社でもうまくいかない。
ボランティアの団体でもうまくいかない。
分かってもらえない。やればやるだけ空回り。
行き場のない不安。
見えない、未来。

あたしに、希望はあるのか。


・・・・・

こんな、私の主張に対し、

主治医の先生は、やさしくうなづいた。「希望は、ありますよ」と。

今の(性格の悪い)私は(つまりぶらっくみせす)、
その根拠すらわからない。

心も、体もボロボロで。
でも、生きている。今。

限界っていうくらい、胸がはちきれそうな時がある。
摂食障害に、しがみついている。
過食しないとやってやれない。

自分に対して信じられない。3食食べれない自分が。
食べたいし、寝たいし、死にたいし。


部屋を真っ暗にする。
いろんな想いに耳を澄ます。

人と話しても、結局、かまってちゃん。
「自分が・・・」っていう話をしたいだけで。
すればするほど、人と話をすればするほど、
自分の惨めさに嫌気がさす。

どうにもならない気分に、襲われる。

なんだかんだみんな幸せそうに(勝手に)見える。


私は必要とされているのかどうか、正直わからない。
でも、こうして、生きている。


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何もしたくない。
考えたくない。
ただ、海におぼれていた。
「死にたい」という感情が、
引き潮になると、or 波が荒くなると、
海面上に、姿を見せる。

何もかもが、めんどくさい。
やれば終わる。
乗り越えればいい。
やってしまえばいい。

分かっているからこそ、だるくて、辛い。
・・・・まさに、抑うつ状態。

これまでなんで頑張ってきたのに、
こんなつらい思いをしなきゃいけないの?

しんどい
心が、苦しくなる。
生きている価値がない。
胸がギュッと、苦しくなる。
・・・・

「許す」
「大丈夫」
「何でもない」

これは、我慢しているときも、もちろんある。
うまく人に言えない。甘えられない。


私は、
摂食障害の慢性期に突入している。
この慢性期では、
病気であることが、私と社会、他人をつないでいる、
理由や手段になっていることがあって。


病気が治ることで、そのつながりとなくなり、
「みせす=摂食障害」っていうアイデンティティが崩壊するのかもしれない。
病気が治ることを、拒んでいる自分がいるのかもしれない。

そんな慢性疾患を持つ患者に対する医療者の態度としては
以下が求められているという。

>温かい関心や、励まし、受容することを意識しながら、
>共感的で効果的なコミュニケーションを通じて、
>患者さんを支えていく。

自分が、まず、自分で支えていく。
自分で、自分に対する温かな関心、励まし。
そして、自分で自分を受け入れる。

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いや、まだ、まだ、そんなことが、できない。

私は、未来が、怖い。

こんな私が、誰かを支えられることなんて、できないのかもしれない。
今日、12月にやる摂食障害イベントの打ち合わせだったんだけれど、

なんか、私が、イベント、という大舞台で
自分がリーダーとして進めていくのはなんかへんな気がする。

・・・・・・・・

実際、今日も、摂食障害の先輩(すでに完治)から、その話が出た。
アメリカでは、摂食障害から完全完治して2年が立たないと、
基本治療者のサポートに回ることは危険だという
(ちょっと言い方に語弊があるかもしれませんが、)

その人と、そして、
主治医が言う通りだ。

自分のこともささえられないのに、誰かを支えてあげられるわけが、ない。

それに、私がいま。摂食障害を抱えているから。


・・・・・

ブログを通じて、知り合った、
たくさんの人たち。

でも、
結局私の方が、
摂食障害の症状がひどかったりしているのも、たしかなところ。

自分自身の未来が見えないのに、
誰かを助けるとか、なんて、なんて失礼な、わがままなことだろう。

・・・・
なのに。

そんなみせすに、優しい言葉をかけてくれる、
摂食障害の大切な相棒がいる。

///「こうやって表に出ているみせすの姿に励まされている人は、たくさんいるよ」
///「それに、企画したからっていって、支えられる立場になってはいけないわけではないし」
///「お互いが支え合って励ましあって、足りないところを補いつつ、前に進められばいいと思うよ。」
///「それに、改めて自分と向き合ったり、摂食障害と向き合うきっかけにもなる」


嬉しくて、帰り歩きながらLINEを見て、
泣きそうになった。

その子の、私を思いやってくれる気持ちに、
本当に、心が苦しいくらい、嬉しくて痛かった。


支えてくれる、人たち。

みせすにブログでコメントをくれる人たちに
結局は、私は、頼っている。
頼られているのに、結局、私のほうが、症状が重かったり、
頼ってしまったり。

頼ることが情けない、とか、そんな風な思考回路はないけれど、
なんていうか。

でも、お互いに傷をなめあう。たすけあう。
「不完全である」ことを、
お互いに認められるような気がしている。


人は、誰かのためでなければ、死ねない。
「誰かのためでなければ、死ぬことはできない」
これは、
「誰かのためでなければ、生きることができない」

目の前にいる人、
大好きな仲間のために、生きようと思う。

自分という存在が、「あなた」を喜ばせる。


「誰か」にとって、かけがえのない存在となっていく。
「あなた」を喜ばせるために、
私には、いったい、何ができる、というのだろう

「私」の力と、「あなた」の力を重ね合わせる。
新しい価値を創造する。
その価値に意味があれば、対価が、生まれていく。

「あなたがいてくれて、よかった」

だれかの役になったと実感できるときは、
わたしにとって、至福の瞬間で。
そういう喜びにたくさん出会えるのなら、
自分なんて見つからなくても、一向に構わない、とも思う。

周りの人たちの、本当の笑顔。
周りの人たちのために、自分ができること。

自分ができないこと、嫌なこと、苦手なことは、
周りも自分も、幸せじゃない。
焦ってもいいことはないし、

自己嫌悪に逃げない。


そう、私は、いつも
「自 己 嫌 悪 」に、逃げていたんだ。

全部を許せ。
全部と、向き合え。


********************

もしかしたら、
「誰かの役に立ちたい」と思うことこそ、
摂食障害に振り回されているのかもしれない。


「何かにならななきゃいけない」という呪文にとらわれて、
「どんな人間になりたいか」を忘れていたような気がした。



死にたくなる時がある。
胸が橋裂けそうなくらい、
生きていることが苦しい。
そんなとき、
そんなときだからこそ、
だれかのやさしい言葉に救われる。


まだまだ。
摂食障害に、振り回されている。
この世界に、「魔法の杖」なんてものは、なくて、
残念ながら明日からすぐ直るってもんじゃなくて。


尊敬している摂食障害の回復者:りかさんの言葉

***↓↓↓↓以下引用*↓↓↓↓↓↓*****

////私はある日、突然人生が好転するような、
///劇的な回復を遂げたわけではありません。
///回復の過程は順風満帆のなめらかな上向き直線ではなく
///こんがらがった糸のようで七転び八起き、行きつ戻りつ、
///泣きながらもがきながらの、険しい道のりでした。

///しかし、
///みっともなく恥ずかしい体験や
///ありとあらゆる失敗、自問自答と挑戦を繰り返し
///人の手を借りながら、時間をかけて
///摂食障害を徐々に手放すことができたのです。

///もっとも、希望をもって探し求め続けることが大切です。
///挑戦と失敗を繰り返して
///転んでも立ち上がって歩き続けた結果
///自身の心の奥の奥の奥の奥の
///そのまた奥にある、小さな小さな部屋の堅い扉をあける
///言葉や人に出会えたのではないでしょうか。
**************************

ちょっとよくなった、と思ったら、
一気に崩れ落ちることが、何度もあった。

でも、いつか。ゆっくりと回復していく。

私たちの未来は、
誰かが持っているものじゃないし、
作ってくれるものでもないし、
私たちの手の中にある。

私は、「自信」がほしかった。

「自信」
そう。
「自」分を「信」じること。
そう。
「自」分の価値を「信」じる気持ち(自信)。
それは、じぶんのうちでもなければ、外でもない。
人との間にこそ、育まれると、信じていたのだ。



***********
■マインドフルネス
***********


私が、さんざんやってきた、「マインドフルネス」
自分の置かれている状況に意図して意識を向け、
自分の体の声に敏感になる、
自分の思考や感情に耳を傾ける、
自分が今、何を体験しているのかということを、
なにも先入観を持たずに第3者として観察してみるという技法。

そうすることによって、
自分のありのままの姿、状態がわかるようになり、
自分の中に突き上げてくる激しい衝動、
感情にとらわれることが少なくなると言われいる(みせすは疑問形)

つまり、言い換えると、こんな感じ。
******
いつも、どんなときでも、
その時、その時いる場所で、
幸せを見つけて、
そのありがたさを感じて、
周りの人を大切にして、生きていきたい。


私は、いつも、どこにいても、
「ここではないどこか」に想いを馳せ、
どこかに「何か」があるように思っていて、
でも、
どこにいても、
どんな形でも、
笑顔をも幸せもあり、
それに気づけるかどうか、
気づけないかどうか、の違いが,問題だ、と、

************
マイナス的にいうとこんな感じ。

うまくいかないことを、他人のせいにし過ぎない。
環境や病気のせいにうまくいかないこともあるかもしれないけれど
基本的に周囲の問題は自らが作り出している。
だから身の回りに起こる問題は大体自分の責任。
他人事じゃなくて、
自分のこととしてとらえたら、きっとうまくいく。


************

もっと、ぶっきらぼうにいうと

/////「どこにいても、結局は自分次第なんだよ」

みたいな(爆)
→あ、でも、精神科の主治医も認めたからね(爆)

*******************

これはこれで、私はどうか、って思うこともあって、
私にとっては、「環境」ってとても大きい。

異動したとたんに、元気になったり、とか、
地方に移住する人がいるとか。
そういう感じ。


マインドフルネスを否定するつもりはないし、
そのおかげで、
すごい私も元気になっていることも事実。




///自分の身体で知ること。
///それは、自分をより大切にできること
と、いう人がいる。


過去、未来にとらわれがちな、私たちの思い。
“今”という瞬間に集中させる。

自分の心の動きに惑わされるのではなく、
常に変化し続ける内的体験を、冷静に観察する。
調和がとれ、生活の意味を深めるような、健康への道。

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今の私を、支えてくれる。漢方薬。

漢方の良さって、
大切なのは、どの漢方が効くか、ということだけじゃなくて、
その時々の症状に合わせ、
良いと思う漢方を処方し、
患者とともに病に立ち向かおうとする
そのことにこそ、意味がある、と、思ってる。









******************************
■みせすを支えてくれる人たちのことば。
******************************
改めて、いろんな出会いと、
うれしい言葉をもらった、最近。

******以下引用******

////あなたは一人じゃない。僕も一人じゃない。
////こうやって一緒にいられる。それだけで、勇気が出てくる。

************************
/////「喜び」だけじゃなくて、あなたは「痛み」も「悲しみ」も「苦しみ」を分かち合ってくれた。
////だからこそ、喜びが何倍にも、なる。
/////みせすさんにように、苦しみながらも、果敢に挑み、美しく気高い女性に出会えたこと。
////悲しみも喜びも分かち合えてくれて、本当に感謝します。
/////あたたかい手を差し伸べてくれて、
/////温かく包み込んでくれて、本当に、ありがとう。

************************

////みせすはいつも与えることに喜びを感じるでしょ?
////みせすみたいに愛のある人になりたい。
////みせすが痛みを分かってくれると思ったから、ネットからみせすにたどり着いた。
////みせすは誰かのために生きているからね。無理だけはしないでね。
////過食の人の気持ちは、みせすが一番よくわかるでしょ。
////一生懸命に生きていて、恥じることなんて何もないよ。
************************

////苦しくてしんどくて、そんな中、昨日見つけたのが、みせすさんのブログでした。
////この病気を理解してくれる人に出会えて、本当に、うれしいです。

************************
////優しさ
///チャーミング
///ひとなつこい笑顔
///人を信じたいと思う素直さ
///ぎりぎりまで頑張ってやりとげる粘り強さ
///困っている人をなんとか助けたいと思う気持ち
///1を聞いて10を知る頭の回転
///料理・手作りのクリエイティビティ
///知識を経験を活かして子供たちに伝えていく
************************

>わがままも、過食も、
>すべて、みせすの、大切な一部。

その言葉に、すべてが、救われた気がした。

************************

今でも過食したりする。
家帰って自分で作って冷凍しておいた、手作りベーグルを解凍して食べる。
もぐもぐもぐ。
・・・
一個じゃものたりない。もう一個解凍する。今度は小さいほうじゃない。大きいほう。
・・・・・
でも。
過食に対して、大分“肯定的“になれた気がした。

“早く摂食障害を治したい!!!”って焦っていた時期もあった。
治りたい。
なのに、ストレスがあると、“過食”っていう逃げ道にしがみつく。
治りたいのに、治りたくない。
だって、“過食”とか“拒食”とか“過食嘔吐”っていう手段のおかげで、
ストレスをため込まずに済んだ。

摂食障害の当事者が抱えるジレンマ。

私は、必要とされている人なのか、正直よくわからない。
でも、こうして、生きているのです。

やりたいことはできるうちにやっておいたほうがいい。
体が思うように動かせなくても、人は強く生きていける。

困難を受け入れて、できることをやっていくしかない。

常に自然体で、誰かに+α(プラスアルファ)を、与えられられる人になりたい。

ブログを書くことで、救われている。
自分の状況と思いを言葉にすると、自分の本当の意思が、見えてくる。


この二週間くらい、うれしいことも、悔しいこともあったりしてた。
まさかのPTSDをぶり返したこともあった。(その人はまるで悪くない)
討論が発展し、喧嘩口調になり、メールで相当、しんどいことばを、なげられた。

しんどかったりした。
でも、どんな日も、会社で昼休みは外に出て、秋の気持ちいい空気に、自分を解放した。
感覚を、研ぎ澄ます。

私には、仲間が、いた。


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  ・
  ・
  ・
  ・
  ・

ピアサポートがもつ、”癒し力”。

私は、貴重な経験をできた。
私みたいな人間が、まだ言える言葉じゃないけれど。
少なくとも、前の8年前の大学一年の時の自分と比べて、
ー人の、痛みを、わかるようになってきた。

今までの痛み、苦しみ、涙。
その経験の使い道は、自分で決めていかなければ、ならないのだろう。
少しでも「死にたい」って思う人の、肩に、寄り添ってあげたい。
「未来がない」っていう悲壮感にただよう、あなたと、思いっきり泣きあいたい。

私は、そのために、あなたと出会ったと思っている。
私は、あなたと会うために、生きてきたんだと思う。

そう思うと、ほんとうに、不思議に思う。
私って、ほんとうにいろんな人に出会えて、
出会うべく人と、出会っている気がする。
主治医、摂食障害の仲間。食育の大切な仲間たち。
本当に、人の出会いって、不思議だなぁ。


つながる喜び。
そうして、みんなで、未来を創っていきたい。

愛がたくさん、降り注ぎますように。

優しさに包まれますよう。


私の中の愛が、もっともっと、ふくらみ、溢れ出していきますように。

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************************
■みらいのこと。
************************
もう、いろいろと、疲れてる。
将来のことを考えるのも、
未来が見えないのも。
うまく、心と身体が、動かない。

毎回、実家に帰るたびに、「会社辞めたい」と叫ぶ私。
それに反対する親(当たり前ですよね)
そして逆ギレする、私。



(自分の夢くらい、追いかけてさせてほしい。)


昔、よく言った、名言。
「置かれた場所で、咲きなさい。」
大好きなブロガー:イケダハヤトさんのブログを引用するとこんな感じ。

>「ブラック企業で毎日残業つづきで、うつ病になりかけてます」なんて人に
>「置かれた場所で咲きなさい」なんて言えないじゃないですか。
本当に死んでしまいますよ。

>「置かれた場所で咲きなさい」というのは、かなりの度合いで
>「恵まれた」人にしか「言ってはいけない」言葉です。
>弱った人、追い詰められた人にとっては、
>死に追いやられる可能性のある言葉です


私の会社はホワイトですごくいい会社だけれども、
自分にあった、働き方を、選ぶ、って考えると、
正直、考え込んでしまったりもする。

「置かれた場所」といっている時点で、
それは、それは。“能動的”なのだから。
だからこそ、自分で、自分の身を、能動的に、置く。



東京で、会社員として、生活する。
(比較的)大きな会社の、正社員の、本社勤務として、働く。


それは、すごく恵まれていい面もあるのはおいておいて、
無意識的に、無感動になってしまっているのだ。

10月に今の部署に異動したときに、
こんなことをあたしはメモしていた。
**ムリをしない。
**いい子でいない。
**感情を出さない。
**それでもいいはず。
そう、それは、自分の感情を捨てる、ということ。

捨てることは、楽なことだけれども、
正直“つまらない”ものでもある。

とりあえず、ふわふわ、浮いてみる。
やることを指示されたらやる。
感情を無にする生き方も、悪くないのかもしれないと、まずは思い込んでみる。

・・・・

やっぱり、

あらゆることに心動かされる自分で、いたい。
毎日感動していきたい。
自分をオープンにして、
世界への扉を開き、自分への興味があふれ出ることになれば、
あらゆることに心を動かせるようになると思っている。

そう、椿油をつくる、このときの、どきどき、わくわくのように。


いっぱい、いっぱいじゃないけれど、ほっとした、幸せが感じられる。

私には、
安定した生活が無理なのかもしれない。
タイプADHDのせいかいもしれないし
それは、
波乱万丈な生き方しかできないのかもしれない。


・・・いや、ちがう。
きっと
波乱万丈的な生き方が、できるんだ

********************

いろんな人がいて、
いろんな生き方があって、
嫌なことをやらない人生もあるし、
嫌なものの先にしかない人生もあって、
そのどれもが正解なんだと思っている。


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実は、【会社をやめたい】のだが、
ちゃらんぽらんんになった自分は、
(それこそ本文の話に戻るけれど)
「生きてていいのだろうか」という気持ちと格闘していた。

生活保護の人が、生きてていいわけじゃないけれど、
「働かざるもの食うべからず」という家庭の中で
私はさんざん、生きてきた。

学校に行っている時も、
「あなたが学校いっているということは、仕事をしていることと同じなのよ」
ってなんどもいわれ、
そのせいで私は優等生のようながんばり屋になっていた。

でも、主治医に言われたのは、
「生きること」と「生活すること」は、
別次元の話。

自分で、生活すること、
お金のやりくりができれば、
別に仕事を転々としてもいい
(もちろん辞める前には作戦会議だけどね)

そう話してたら、
ちょっと、気分が、楽になった。

「私は生きていていいんだ」
ということと、
「生活する、と、生きるは、別なんだ」
ということも。

私は、やりたいことが、いくつもある。
*薬膳の資格をとって、料理教室したい
*薬膳カフェしたい
*食育ボランティア(KKP)を事業化したい。
*ワークショップしていきたい
*講演して全国まわりたい(弁当の日、とかね)
*食育やりたい
*学校の先生やりたい
*ネパールいきたい。
*絵本かきたい。(色鉛筆画とか水彩画)
*ジャグリングならいたい。

でも・・・どれも、
1つの“軸”がほしいのです。

だから、もう一度、学んでみたい。
道を、極めてみたい。


「プロフェッショナル

になりたい。


自分を知り、偽らず、限界を作らない。
初心を忘れず、常に謙虚に、高め続ける。

 

夢を持つということは、
同時に現実と戦うことになる覚悟を持つということ。


今の私は、いろんなことに、
傷ついて、苦しんでいるのかもしれない。
でも、
傷つかずに生きていくのも、
悲しまずにすむのも、
嫌な思いをしないことも、
全部ゼロにはできないということを、

この半年で、いろいろと、知った。

人を押しのけたり、傷つけたり。
やりたいこと貫くことは、痛みを伴うもの。

*********************

いろんなところに旅して、
いろんな体験をして、
やってみると意外と大したことがなかったりするし、
人間の三大欲求(食欲/睡眠欲/性欲)を満たすために
十分な健康状態が確保できていれば、それだけでいい。

お金を得るのも、健康体を満たすために、
十分あればいいい。

人とのつながりを大切にする。
人の温かさに触れ、
出会いを楽しむ。

*******************
自分の人生の、主人公になろう

自分の行く道を、自分の意思で選ぶ人になろう

自由に、積極的に、人生を美しいものにしよう

既存のルールや常識に縛られない人になろう

自分の行く道は、自分で決めたほうが、楽しいに決まっている。

人生のドライバーになろう。

Be a Driver.
*****************

これは、普通に
勝手な空想論かもしれないけれど。

世の中って、空しい。
痛みや悲しみもからっぽで、
変わりゆく。
この世の中は、いい加減だったりする。

聞こえるものに、しがみつく。

味や香りって、人それぞれ。

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とことん、ゆっくりして、
言われたことを、やっていく。
少しだけ、それでも、いいんだよね。


本当は、少しでも前を向きたい。
自分の未来に、自信を持ちたい。
自分の夢は、自分でしか、叶えられないもの。



そんな、自分の毎日に、少しでも、肯定的に思おう。
誰が思わなくても、自分で自分のことを信じてみよう。

そう。
今、この日本には。
絶望も希望もあるだろうけど、
私は、希望を選んでいきたいのだ。


きれいだけじゃない世界。
陰陽があって、バランスが取れている。
とても不器用で、歩みの遅い私だけれど、
きっと、できることがあるのだろう。

自分を信じる強さ。
自分すら信じられないのに、大切な人を信じられるわけがないから。
信じられないから、誰かを愛することだって、できない。


*目の前のことに、全力で取り組む

*楽しむ

*人の信頼を得る。

*未来を信じること


旅するように、自分の生き方を、絶えず、探していく。
見かけだけでなく、中身で勝負できる人でいたい。
理屈ではなく、たいせつなひとと、たいせつなものを、
守れるヒトでいたい。

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One person can have a dream,
But, it takes more than one to make the dream.
(夢を見るのはひとりでできても、夢をかなえるのは、一人じゃでいない)

一歩先で、
いろんな美しさを見つけて、
その瞬間を、
人生の一部に埋め込んでいこう。

辛いことも、
投げ出したくなることもあるけれど、
一歩ずつ、前にいく。

傷つくことが多いけれど、
でも。

一日24時間生きている中で、
小さいけれど、何かしら「いいこと」があって
今日も昨日も、自分的にいいことがある


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「仕事を、する。」


やわらなかすぎる感情と、記憶。
どうしても失えない、実家の、変わらない笑顔。
もっといろんな類のものに触れて、
あらゆるものを得ていくことを恐れないでいられますように。

分からなくなったり、
路頭に迷ったりしても、
「大丈夫」って、うなづいていたい。

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******************
■美しい
******************

The only thing that separates you from others is your quirks or even falws.
(あなたの弱みや欠点こそ、あなたを特徴づけているもの。)

The only thing you can be the best at is developing your own self.
(ありのままの自分を受け入れ、自分の特徴を伸ばしていくことが、
あなたいできる最前で唯一の、策だ。)

Accept your lack of knowledge, and use it as your asset.
(自分の鞭を受け入れ、それを資産として使っていく)

人生って、
人にやさしくする
いい本と出合う
適度に散歩する
信条や国家にとらわれず、
あらゆる人々と平和に仲良く暮らしてくように努力していく。

そんな単純なことなんだと、思う。



////人の生命のゆきつくところは、
////愛し愛されること。
////1つになることを願い、それをあらわずにおられぬ
////仕組みを生きるところにある。
////人間の尊厳の自由も、
////ここに、見出されなければならない。
////(辰巳芳子)






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//////美しくない人なんて、僕は出会ったことがない。
//////人生のあらゆる時期において、
//////どんな観点であったとしても、
//////美しさを持ち合わせていない人なんていない
//////(アンディー・ウォーホール)


-----I believe we are beautiful people.
きっと、どんな人間も、美しい。
「あなた」も、
「わたし」も。

うまくいっても、いかなくても。
精一杯の一日は、もっと、気持ちがよい。そんな、世界。

---World is fulled of Love.
(そんな世界は、きっと、愛で満ちている。)

-----We were born to be loved.
哀しみのない、愛にあふれる世界を、願って。


プロフィール

ころいど/みせす

Author:ころいど/みせす
*群馬県太田市出身
→東京の薬科大学を卒業@2012
→群馬の大学院修士取得@2014
→2014年4月~都内社会人。

*1991年股関節脱臼(生後3歳)
*2009年臼蓋形成不全
変形性股関節症進行期
 CE角(正常+30°~)
 左-22° 右+16°
→2009/3/5に左股関節骨切り手術「AAO」
(当時大学2年春/19歳)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
*現在
【左既術性形成不全股関節症】
経過観察中。術後7年経過。(2016年4月現在)

オペ後に体重管理をしようと、
大学2年〜自己流なダイエットをしたことにより、
*摂食障害歴(拒食,過食嘔吐、過食、無茶食い)
6年〜

★メールは
kaneko.hiroko93★gmail.com
↑★を@にかえてね!

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