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2017/08
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こころ総括@術後2ヶ月半
AAO術後2ヶ月半。

骨の癒着は進み、痛みもほとんどなくなった。
そんな中の想い、綴らせて頂きます。
あくまでも、前を向くための、日記ということで。予め断っておきます。

涙であふれて爆睡する日々も有れば、寝ようと思って、なんだか苦しくて眠れない日々が続いた。
人それぞれ想いはある。
でも、今の私にとって必要な事は、どれだけ自分と向き合って回復させるか、だ。
筋肉の癒着(3ヶ月)まで、あと15日。

現実を知れば知るほど、哀しくなるっていうか。
期待。理想と建前。いろいろある。
まさに社会を学んでいる、19歳。

2ヶ月検診おわって、
骨自体の回復は順調で、骨の癒着もあり、大転子のずれも、筋肉の炎症もなく、順調に回復している。
それなのに。ただ嘆いては、悲しんで、苦しかった。




股関節自骨手術、AAO患者同士のオフ会が5/11(月)あって、約一週間。
とにかく、泣いてました。
無気力でした。今更5月病?笑)
股関節が痛くて、泣いているんじゃないのでご安心を(^^)/
そして、まぁ一週間たって、流石にふっきれました。

自分の弱さに甘えて、股関節と向き合わずに、甘えてたり、
そして、手術の事の大きさを常に心にとめていなかった自分が
情けなくて、しょうがなかった。

・自分の経過ー筋肉の回復に落ち込み、
・なぜ今こんな状況なのか。分析した結果分かってくる自分の弱さに涙をし、
・改めて若年期でこの病気なこと、ジョギングマラソンの夢のこと、

深く考えていました。

痛みがほとんどなくなっていく。
でも、だからといって無理して、心が傷ついて。
そして、あと学校社会にでの、「あと一歩、」が踏み出せなかった。



二ヶ月検診があって。
オフ会があって。

個人差が大切って分かってるのに。
どうしてもAAOでのつながりの強さ、絆の強さに導かれてはお互いの症状を比較対象してしまう。
あの人はいい、あの人はまだ・・・・。なんて。

筋肉の回復が遅いこと、ある意味ショックでもあったし、

でも、先生はきちんと見てくださっていた。
「個人差だから。」
「大工事だったんだし。」
私は大転子をさげて、また内方化したわけで、今は2cmあった左右の足の長さの差がほとんどそろっている。
比べちゃ駄目だ。
少しずつでも進歩しているんだから。

最近RAOのダイジェスト動画やら、オペの写真をみてますが、本当に。。。神だと。
少しくらいの、回復が遅いだけで、何落ち込んでいるんだ、このころいどは。


何よりも、二ヶ月検診、オフ会。通して、自分の弱さがあらわになった。




せっかく大学生なんだから長期休みを利用する。そう想って、3月、みんなバイトや、海外や、いろんな事しているなか、私は岐阜にこもってました。
遊んだり無理をおしきったり、そんな大学生活を味わいたい反面、
でも。もやもやした気持ちが心の中にありながら、心の底から笑う事なんて、できないから。
この股関節と、ころいど自身、生まれ変わるために、手術を決意した。

そして術後1ヶ月がたったときにちょうど新学期が始まって。
大学なんて別に休んでもよかったけど、
でも、「せっかくAAOをうけられた。大腿骨の外反骨切りなしで、こんなに綺麗に屋根を作って頂けた。」
早期社会復帰すること、パパ先生の、私たち患者への想いでもあるんだと自己解釈し、
せっかくできるのだから、と頑張って大学に通っていました。
辛いけど、でも、時間をかけて。
廊下走る大学生たちに蹴り飛ばされそうになり、事務職員の人からは不審な目で見られながらも、
一歩ずつ杖をついては進んだ。


↑傷ついた杖の柄の部分。クリックで拡大。

でも、いっつも杖を投げ出したくなった。
こんな頑張って大学行って・・・私は何になるんだろう、って。
3,4時間せまい実習室で、丸パイプイスで座りっぱなし、またはガラス器具の前で立ち往生しては、
無理して、泣いて、友達に同情されて、苦しかった。

職場に戻るのと、大学と、高校は、すべて状況が違う。
大学ならではの主張もしたい。
4年間という、期間が決まっていて、その中でいかに可能性を切り開いて将来をつくるか、という命題が与えられている大学で、オペすることの大きさ。
出来る段階で、どんどんと戻っていかなければならない。
チャンスを、逃さず、食いついていかなければならない。
無理ばかりして、その中で、何かを得る同級生たちと、どんどん差がついてしまう。
休むのも遅刻するのも自己責任、自由。
自己責任という意味を噛み締めてます。

一人一人を考慮してくれる高校とはとは、違うんだから。

家で、リハ施設で、しっかり純粋な筋トレに励んで、大学なんていかないで無理もしない生活もできたはずだ。
股関節に集中することで、もっと早く回復できたかもしれない。
大学にいくこと、大学にイニシアティブをとられることで、股関節へのリハビリが怠ってしまう部分も有るから。犠牲になってしまう部分も有るから。
「大学に行く事」を名目にして、自分が股関節と向き合うのを避けていた。

正直、でも、「この足だから大学にいくこと」が、私にはいろんな意味で、強くさせてくれた。
一方、それに甘えいたのは事実だ。
今振り返ればそれは、ころいどのステップとして必要だったのだろうと肯定する。
実際に、やってみなきゃわからないこと、あるから。
でも、すべて間違っていた訳じゃないんだな。
方向転換。いつもしていく。
大学に行く事が、まずはころいどの可能性を切り開く事だった。

東海中央病院でも、術後検診で術後1ヶ月や2ヶ月のときは、PTの外来もとれるといいのに。
実際に、何人かはPT室で相談もしていますし。AAOのリハビリは、やはり、専門のPTには叶わないと想ったり。
東京のPTに歩き方、見てもらおう、っと。

「ゆっくり」
という言葉に自分の甘えをなすりつけていたのも事実だった。
股関節のペース、心のペース。
でも、甘えすぎては股関節の成長をとめてしまう。いろんな意味でショックだった。

[いつか、跛行は治る。]
その言葉に甘えて、中殿筋をさぼっていた自分。

「ゆっくり」の意味を、はき違えていた。
いつの間にか、自分と向き合うことを恐れていた。
形がどんどん変わっているこころに。
よりよくなるのか分からないこの中殿筋に。
なぜ自分がこんな状態なのか、こんな想いするのか。

まぁ原因の一つに
[中殿筋を鍛える筋トレ(横向け足あげ)]



をさぼっていたことも大きいな(笑)いずれ平気になるならば、とりあえず歩く事でカバーしようと想っては、単に歩いていた。

電車でも、ゆずってもらえるし。
変化を怖がるころいどは、いつの間にか、その現状に、慣れてしまった。
杖がないと歩けない現状に、いつの間にか、傲慢にもなっていた。

いつか、脱出しないと、わかってても、
でも、その怖さに、自分の居場所のなさに、泣いていた。

友達の前では無理して遊んでも、でもつらい。
回復しているけど、でも、段階的に認めてもらえない。
◎か×の世界だから。

常に、誰かの理論と根拠にしがみついて、無責任に自分を正当化していた。
今回の涙は、まさにこれが原因。





若年期RAOの人や、闘病記ブログをみていて。
必ずでてくる言葉がある。
「なんでこの病気になったんだろう。」
正直、そんな深い意味はこもっていないワンフレーズだ。でも、私にはどうしてもここの文字だけ光って見えてしまう。

私だって、正直、こう思った事はある。
ただ、口には絶対に出せなかった。自分を責めてしまうから。親が責任かなにかを感じてしまうかもしれないから。

学校に行くたびに、
友達を見るたびに、
元気になって、遊ぶたびに、
一方で
どんどん自分は涙が増えていく。

もし、私が、この病気じゃなかったら。

そんなこと、絶対に考えないつもりだったけど、心の中には常にあった。
先天性股関節脱臼を治して、傷跡も、勲章として、小学校のプールとか傷跡の露出ものりきって。
なのに、10代で自覚症状がでる意味のこと。(小学校6年のときに、もう痛みはでていた。)



正直、この病気はなった人しか分からない。
人間、お互いを完璧に理解できる分けない、っていうことと同じだけどね。

まだ歩けるのに、走れるのに、たまに筋肉痛のようなだるい違和感がでるだけで、
でも、
[軟骨がすり減って歩けなくなるから、手術しましょう。]
そして手術したら、座った状態で膝の持ち上げもできなくなっている。
歩くのに、歩行器、杖。そして独歩。
けがじゃない。病気。
社会から見ればへんなものですよね。

常に「悲劇のヒロイン」でいたかった。

変形性股関節症と向き合ったのは、事実だ。
高校のときから、常に夏休みはあけていた。オペが出来るように。
いつy軟骨が閉鎖し、成長骨がなくなるのか。
もちろん手術しなきゃ治らない、そりゃ、告知されたときは相当な衝撃を味わいましたね。
ネットで最初検索したときは、あの暗闇での、焦燥感は、特別な物でした。




オフ会行って、感じた事もたくさんある。「若いから回復早くていいね。」って言われるけど、でも、若年期での悩みもある。
まず症例が少ない事。
ただでさえネットでのAAO患者は、ごく一部である。
20人ほどオフ会で集まったとしても、いままでで200股のオペをやってきたんだから、
1,2割ほど。
他の人がどのような経過をたどっているかは私には分からない。
きっと、よい経過だからこそ、このオペがだんだんメジャーになってきているんでしょうけど♪

正直、20代前半まででうけるのと、
20代後半~30代でうけるのは違うと想うのは、まだ19年間しか生きていないころいどだけか?

20代でRAOはたくさんいる。
でも、ネットが普及してきたのはここ最近。どれくらい症例があるのか。。。
ネット上での20代がちらほらいるっていっても、現在ネットユーザーの割合が、正直、30,40,50代に比べて多いのは事実だと思う。
だからこそ、症例数とネットでの闘病記公開数の割合は、20代の方が高いだろう。

10代、20代でうけて再手術の人はたくさんいる。
進行期と比べ、悪化が少ないといっても、
20代で軽度の人はいいけれど、20代で手術する、痛み含め、ワケあり股関節なんだから
正直言って本当に結果がいいのかはわからない。

正直。
若若年期(teenagerや20代前半でオペ)のなおさんが、
あんな風に悩んでいるのを見て、ものすごくショックだった。

涙がとまらなくて、学校行く時間になっても、ベッドから立ち上がる気がしなかった。
洗濯機がぴーって音をなっても。
大好きな音楽が再生おわって、再度ボタンを押そうという気にもなれなかった。

オペを終えて、回復していて、だんだんと日常を取り戻しつつあって、
でも、筋肉の回復っていうちっぽけなことで悩んでいたり。そんな自分が、、、情けなく思えていた。

10代であるteenager、20代中盤までに股関節を治療するチャンスを逃すと、
結婚、出産、育児という過程を踏んでいるうちに、
変形性股関節症に移行。
進行期および末期を迎えるのが、大半のパターンである。

今回、その過程に踏む前に、こうオペをうけられたこと。
オペという選択肢をいただけた事、
この上なく、感謝しています。

でも。たまに、思ってしまうんです。。。比べてしまうんです。19歳で,オペすること。
別に、今することはなかったんじゃないだろうか、って。
どうしても、青春したくて。
これから進行するかもしれない不安と、戦っていく。
正直、オペしてどうなるか、なんて、誰にもわからない。
オペする前の状態でいけば、歩くたびに亜脱臼はしていたけれど、変化は著しいものではなかったかもしれない。
(股関節姉)なおさん行きつけ祐天寺の病院で、
「骨萎縮が進んでいる。大腿骨がもろくいつ崩れるかどうかはわからない。」と言われたことが本当かもしれないけれど。

股関節もいろんなタイプがあって、手を加えることによってどんどん悪くなる人もいる。
先天性股関節脱臼のときが、私がそうだったように・・・・。
2回も手を加えたのに、結局、また再手術になっちゃった。
3回の手術で、これで、終わりかどうかも分からない。

言い方を変えれば。
股関節のオペをする前は、まぁ進行するとしても、小康状態か、目には見えない変化をたどって、
そしていつか10年、20年後には歩けなくなっただろうとDr.に診断され、自分で覚悟はしてました。
でも、もっと。。
たとえば5年、10年くらい先だったら。
大学生のときに、ものすごくとにかく遊んで。どんどん可能性を広げていくのかもしれない。
同じ変形性股関節症の方たちと症状は似ている。このまま頑張って、30代、40代で手術することもできたんじゃないかって。

気がつくのが早かった事、
それがよかったかどうかは私には分からない。
知らぬが仏、っていう言葉も有るけれど、実際に、知らないで多少の痛みを筋肉痛かな?って思いつつ、多摩川走り回ったり、ダンスしたり。
まさか股関節再手術なんてないだろー、って正直中学生のときは真面目に信じていたし。青春を謳歌したり。どちらがよかったんだろう、とも思ったり。
あ、いや。これから私は青春を謳歌しますけれど。
そうだ。
これからも進行するとはいえ、進行をゆるめるための股関節手術(AAO。RAOもそうだけど、私は股関節がこれで完治するとは思っていません。だって失われた軟骨は元に戻らないから。)をして、
想いっきり私は青春謳歌する、その場の楽しみだけでなく将来を切り開いていていく意味でオペをする、って決めたんだ。

自骨のオペをできて、私は、本当によかった。

今を不安に思ったり。
少しでも希望を想像したり。
悩みだらけの日々


何のために、毎日辛い想いをして、大学に行っているんだろうって。
実際、自分がコミットしているものから、一歩引いてみると、自分がいなくても社会は回っていく事を実感する。
それでも、私は社会の歯車にならなきゃいけないんだ。
そのためのオペなんだ。

辛いたびにみる、早期荷重リハビリの動画。
私の、大切なお守りにまでなっている。


↑AAO術後3日目



最後になったけど、一番ショックだった事。心涙した理由が、もう一つだけある。

5/11変形性股関節症AAO患者同士(THA一名有り)のオフ会のときに、パパ先生と話した、[スポーツについて。]
「ジョギング/マラソンはNG」
って言われてしまって。
「あなたの場合、まだ若いのだから、テニスやいろんなスポーツに挑戦してみて、他の趣味を見つけてみては?」


私は、股関節が悪かったからこそ、中学で陸上を選んだ。
陸上が、唯一の、個人競技だったから。(中学でテニスは軟式で、ペア制だった。)

いくら足が遅くても、楽しめた。
いつの間にか陸上が、股関節の悪いころいどのアイデンティティにもなっていた。
不意にきいた話の流れで、「マラソンがNG」って言われたのには、ものすごく驚いて、だからこそショックも大きいものだった。
股関節が悪い自分が選び抜いた陸上、それを否定されたようで、(実際はそういう事いっているんじゃないってもちろん分かってますが)
「じゃあ、私には何が残るの?」なんて気持ちがとりとめもなく溢れ出して、大変だった。

ランナーズハイ、じゃないけど、
走りながら、辛いたびに、何かを見いだすことが好きでたまらなかった。
受験に失敗したときも、股関節と向き合うときも、いつもお気に入りのジョギングシューズを履いては、夜のグラウンド走っていた。
亜脱臼しながら。股関節に3,4倍の負担をかけていたのにも関わらず。

もちろん、よくなったら、いろんな事、挑戦してみようと想う。
でも、ダンス(※1)も、陸上(※2)も、自転車日本一周(※3)も、やってみたい。
(※1hiphopは高校のときに齧ってました。)
(※2中学のときにやってました★)
(※3群馬ー東京、一人自転車縦断は2008年夏に経験済み。)

どうしても、やりたいこと、
多摩川のジョギング、3kmとか5kmとかの市民マラソン、まだ諦めてないですよ。

あー今決めた。来年にむけての目標(^^ooo今は、秘密ですw



****************
未来でも過去でもなく今を見つめてごらん
目の前の君をずっと愛している
***************
(♪花火/レミオロメン)

がんばっているなおさんや、他の病気の人たちを見るたびに、
自分の弱さを実感する。
自分の、今の状態での、弱さ。
治りかけ状態で、痛みも無くなってきたのに、
社会で一歩踏み出したり、後退したり、
自分に甘えている事がよくわかる。


自分に足りないものは、
今の自分を認め、そして自分の事を愛して、抱きしめて。
前に進む事だったんだ。


なんだか、覚悟してオペをうけたと、でしゃばっていたわりには、後悔的な文章も書いてしまって。

でも、私は、まだ、諦めてない。


人生これからなんだ、ってこと。
今我慢した分だけ、絶対やりたいこと、やってやるんだってこと。


今はエネルギーATPの合成/貯蔵期間。


「一度きりの人生を幸せにする」


泣きながら、もやもや、しながら、この日記を何度も保存して、ここまできて。
一週間たち、ふっきれて。泣いたかもしれないけれど、でも、今は大丈夫、前向きです。


絶対、自分に勝ってやる。
絶対、乗り越えてやる。
絶対、未来を切り開いてやる。
いろんな感情が入り交じるけど、でも、一つの命にいろんな表情があるはず。


笑顔のころいどをとりもどし、明日も杖を片手に、青いそらを見上げていこう


歩く歓びを噛み締めて。
手術が成功し、順調に回復している歓びを噛み締めて。


ころいどを支えてくれる、すべての人に、感謝をこめて。
再び、歩き出す。




*********************
You'll be in my heart
No matter how far you are
今君に贈りたい

ありったけのありがとう 今君に贈りたい
春の風よ 届けて欲しい

君と見た夢の数は数え切れないよ
今解き放とう 遠い遠い明日へ

くじけそうになるとしても ひとりじゃない気がする
信じてゆけばいい その言葉を忘れない

ずっと覚えているよ このときめき
翼(はね)を広げ飛び立つ時 ずっと待っていたんだ
**********************************
(♪Thank you/Dew)

(7723字)
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プロフィール

ころいど/みせす

Author:ころいど/みせす
*群馬県太田市出身
→東京の薬科大学を卒業@2012
→群馬の大学院修士取得@2014
→2014年4月~都内社会人。

*1991年股関節脱臼(生後3歳)
*2009年臼蓋形成不全
変形性股関節症進行期
 CE角(正常+30°~)
 左-22° 右+16°
→2009/3/5に左股関節骨切り手術「AAO」
(当時大学2年春/19歳)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
*現在
【左既術性形成不全股関節症】
経過観察中。術後7年経過。(2016年4月現在)

オペ後に体重管理をしようと、
大学2年〜自己流なダイエットをしたことにより、
*摂食障害歴(拒食,過食嘔吐、過食、無茶食い)
6年〜

★メールは
kaneko.hiroko93★gmail.com
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